アンソニー・ジャクソン
こんにちは、あやはなです。
世界的なベーシストのアンソニー・ジャクソンさん。
音楽の星に帰ってしまいましたね。まだまだ地球で演奏して欲しかったです。
73歳なんてお若い。
何か本当に1人の時はベースとお話してるんだろうなと思ってしまう感じの、
真摯に音楽と楽器を愛した人というイメージです。
トレードマークである6弦もあるベース「コントラバスギター」を抱える姿が印象的でした。
そして周りと本当に会話をする様に、時に歌いながら演奏して、
時折り見せる嬉しそうなお顔も記憶に残っています。
きっと音による楽しい会話が成立したんだろうなと思う瞬間でした。
楽器を本当に大切にされてる方で、
前に上原ぴろみさんのインタビューで読みましたが、
会場まで行く飛行機にベースを持ち込めなくて困って電話を掛けてきたそうです。
「きっと荷物で預けたら楽器を放り投げられちゃう。心配だよ」と落ち込んでいたそうで、
よしそれならと急遽、上原さんがベースを背負って陸路で移動した、
という、うろ覚えですがそんなお話だったと思いますが、
本当に楽器と離れるのが辛くて落ち込んでるアンソニーさんが、
想像出来て可愛いと思えるエピソードでした。
日本でも矢野顕子さん、上原ひろみさんと共演されていますが、
残念ながら上原さんとの演奏は見た事がないのですが、
矢野顕子さんとのトリオは何度か生でみる機会がありました。
本当に息の合ったカッコいい演奏でアンソニーさんの存在感は素晴らしかったです。
「にぎりめしとえりまき」という難解なリズムの曲で、
「からす雀もいないのに雪がドサっ!と落ちる音」の「ドサっ!」に合わせて、
重たいベースの音がぴったりハマった瞬間は脳裏に焼き付いていますね。
何か今、すごいもの聴いてるなとワクワクした覚えがあります。
矢野さんの曲を歌詞までしっかりと理解してから演奏しようという姿勢が、
本当に頭が下がりますね。これぞプロフェッショナル。
同時期、SMAPの「HeyHeyおおきに毎度あり」もカバーされていましたが、
「これはどんな意味の歌詞なんだい?」と聞かれ、矢野さんが一生懸命説明すると、
アンソニーさんがものすごく困った顔をしたというお話は笑ってしまいました。
そして本当に矢野さんの音楽を愛していたようで、
矢野さんの「New Song」というピアノの弾き語りの曲を、
ベースの伴奏に編曲して持って来てくれたそうで、
それをアンソニーさんの伴奏で嬉しそうに矢野さんが歌う姿も忘れられません。
映像が残ってたらまた見たい名演でした。
当時はその凄さをそこまで理解出来ていなかったですし、
雲の上からの演奏というか何かすごいものが降りて来てくれた様な、
そんな畏怖の念を感じるのが精一杯でしたが、
とにかくカッコいいと胸を撃ち抜かれる音楽が聴けたトリオでした。
矢野顕子、アンソニー・ジャクソン、クリフ・アーモンドのトリオの演奏は、
「Twilight」というライブアルバムで聴けますが残念ながらサブスクにはありません。
ちょっとまた買い直して聴いてみたくなりました。
矢野さんは今も現役バリバリですが、この頃は本当にキレキレで迫力があります。
ずっしりシンプルでタイトな前半からのスピード感が増していくのが見事です。
矢野顕子、アンソニー・ジャクソン、クリフ・アーモンド「ラーメン食べたい」
https://www.youtube.com/watch?v=SWq5ayuXXrw
何度観てもカッコ良すぎて痺れます。おそらく100回はクリックしてます。
矢野顕子、アンソニー・ジャクソン、クリフ・アーモンド「ROSE GARDEN」
https://www.youtube.com/watch?v=bKCkFKpDmoc
重たいグルーヴがカッコいい名曲。
矢野顕子、アンソニー・ジャクソン、クリフ・アーモンド「電話線」
https://www.youtube.com/watch?v=XzErayyEnPc&list=RDbKCkFKpDmoc
まるで一本の映画を見終えたような充足感。くるりのカバー。
矢野顕子、アンソニー・ジャクソン、クリフ・アーモンド「ばらの花」
https://www.youtube.com/watch?v=EHtBgxN62pg&list=RDbKCkFKpDmoc
物語につい惹き込まれてしまう、なんて言い表したら良いか分からない演奏。
矢野顕子、アンソニー・ジャクソン、クリフ・アーモンド、ウェイン・ジョンソン「にぎりめしとえりまき」
https://www.youtube.com/watch?v=YAuf9_hskvU&list=RDbKCkFKpDmoc
そして上原さんとのトリオ。
観ておけば良かったと今更ながら思います。
こちらのライブは上原さんの狂気を感じてただただカッコいいです。
まるでピアノを演奏中にぶっ壊してるんじゃないかと錯覚します。
そしてサイモンさんの派手なドラムの下で支える骨と肉の様なアンソニーさんのベース。
本当に奇跡のようなカッコいいトリオですね。
思わずモニターの前でも「Yeah!」と叫んでしまいます。
上原ひろみ、アンソニー・ジャクソン、サイモン・フィリップス「MOVE」
https://www.youtube.com/watch?v=1rxYw7Y45Eo&list=RD1rxYw7Y45Eo
アンソニー・ジャクソンさん。本当に素晴らしいベーシスト。
個人的には矢野さんとの共演をまた観たかったですが、
音楽の星には素晴らしいミュージシャンが沢山いますので、
そちらでずっと演奏していてもらいたいなと思っています。
| 上原ひろみさんのInstagramより |
そして少し長いですが、
ドラマー、クリフ・アーモンドさんによる追悼文。
アンソニーさんがいかに素晴らしいベーシストで素晴らしい人格者であったかが、
よく伝わって来ますね。
およそ10年ぶりにブログを書くことになりますが、この1週間の出来事が私をそうさせました。
ご存じの方も多いと思いますが、私たちはアンソニー・ジャクソンを失いました。
音楽界全体がこの喪失をまだ受け止めきれておらず、私たち、つまり彼と直接関わったことのある人間たちも同じです。
今週、私に届いた多くのメッセージの最初の言葉は「クリフ、アンソニーが亡くなった」「AJのこと残念だったね」といったものでした。
この6日間、その言葉を目にするのは本当に辛いことでしたが、それもまた受け入れの過程の一部でした。
ここ数年、彼の体調や行方についての情報を求めて私に連絡をくれる人が少なからずいました。
この1週間ほどで、アンソニーの逝去を悼む言葉を寄せてくださった皆さんに、心から感謝します。
私自身としては、ただ「かつて一緒に演奏したあの時を思い出します」と写真を投稿するような形で、彼の死を簡単に扱いたくはありませんでした。
この文章を書くのは、波のように押し寄せてくるこの出来事を自分の中で消化するためでもあります。
彼の存在は、数行ではとても言い尽くせないほど大きな意味を持っていました。
彼がどんな人だったのか、音楽家としてだけでなく一人の人間として、私の経験を少しでも伝えられたらと思います。
アンソニーを実際に知る幸運に恵まれた人たちは、彼の強面な外見に反して、彼が非常に繊細で思いやりのある人物であることをすぐに理解しました。
多くの音楽仲間やファンは、時に彼を「近寄りがたい人」と評しました。
確かに、そう感じる場面もありましたが、30年以上の付き合いの中で私が知った彼は、まったくそのような人ではありませんでした。
初めてアンソニーと共演したのは、1990年代初頭、ニューヨークの小さなクラブでジョン・セリーという作曲家のライブでした。
子どもの頃からの憧れの人物と初めて演奏できることになり、私は極度に緊張していましたし、ニューヨークの音楽シーンでもまだ経験が浅かったのです。
アンソニーが会場に入ってきた瞬間、どこか威圧感のある雰囲気を放っていました。
私は恐る恐る「こんにちは。ドラムを担当するクリフです」と声をかけると、彼はただ顔を上げて手を差し出し、「アンソニー」とだけ言いました。
演奏が始まると、その音は私の知っているどんなベースとも違いました。
楽器の持つ音域のすべてが、まるで未知の方法で使われているようでした。
それは単なる技術的な巧みさを超え、音楽全体を俯瞰するような意識の高さを感じました。
その音には雄弁さがあり、音楽の中で誰もが自由に動ける空間を与えてくれました。
その「圧倒的な音」は当時の私には恐ろしくもあり、同時に解放的でもありました。
気づけば私は、自分の演奏の中でこれまで届かなかった部分に自然と手が届いていたのです。
それはまさに「音楽意識のもう一段上の層」に触れた瞬間でした。
あの夜の経験で、なぜ彼が名声を得ているのか、なぜ多くのアーティストが彼を求めるのかを初めて実感しました。
その後、私はあの時学んだ感覚をすべての演奏の中に生かそうと努めるようになりました。
中学生の頃、地元サンディエゴで観たアル・ディ・メオラのツアーでアンソニーを初めて見たときの記憶が何度もよみがえりました。
その夜、彼と同じステージに立てたことはまさに一生に一度の出来事でした。
音楽はとても難しかったものの、ライブは無事終わり、彼は終始礼儀正しく接してくれました。
私はまだ話しかける自信がなく、「いつかまた共演できるかもしれない」とだけ思って会場を後にしました。
後になって知ったのですが、彼はその日、日本から到着したばかりで、空港から直行して演奏に臨んでいたのです。
あれほどの演奏を聴かせた上でのことだと思うと、あの夜はさらに特別な思い出になりました。
それから2年ほど経ち、私はミシェル・カミロとサントドミンゴで共演することになりました。
彼から「今回はアンソニーが参加するよ」と聞かされたのです。
現地に着き、別便で到着したアンソニーを迎えに行くと、彼は私の顔を見るなり「久しぶりだね。ジョンとやったあのギグ、楽しかったよ」と言ってくれました。
覚えてくれていたことに心から驚き、嬉しかったのを覚えています。
リハーサルでは彼は穏やかで、驚くほど気さくでした。
その後の公演では、ピアノトリオという形で彼の真の力を体感することができました。
ミシェルとアンソニーの音の呼吸がぴたりと合い、その音楽的対話は圧巻でした。
私はただ必死に食らいつくことしかできませんでしたが、それ自体がかけがえのない学びの場でした。
それ以降、私はアンソニーとさまざまなアーティストのライブや録音で共演する機会を得ました。
中でも最も光栄だったのは、彼が私を他の仕事に推薦してくれたことです。
子どもの頃のヒーローに認められたことは、私自身の演奏への迷いを大きく払拭してくれました。
彼の音楽的導きは、私の人生を根底から変えたと言っても過言ではありません。
スタジオでは、彼の天才ぶりがさらに際立ちました。
ミシェル・カミロのアルバム『One More Once』の録音中、ある曲で中間部分を録り忘れてしまい、テープ録音だったため簡単に修正できないというトラブルが起きました。
アンソニーは「僕がやるよ、試してみよう」と言い、信じられない集中力で演奏を合わせてみせたのです。
私が少しテンポを走ってしまった部分も、彼が重ねたベースラインによって完璧に修正されました。
どうやってやったのか、今でもわかりません。まさに魔法でした。
彼はいつも音楽全体の「大きな絵」を見ており、自分のパートを犠牲にしてでも全体を美しくまとめようとしました。
これこそが真のヴィルトゥオーゾ(巨匠)の証だと、私は彼から学びました。
かつて私は彼にこう尋ねたことがあります。
「どうしてそんなにいつも完璧なフレーズを選べるんですか?」
すると彼はこう答えました。
「誰かに止められるまで、自分が正しいと思うことを弾けばいい。」
この一言が、その後の私の音楽人生を支える大きな指針となりました。
後にアンソニーは私を矢野顕子さんに推薦してくれ、そこから約12年間、毎年日本ツアーを共にしました。
毎年11月から12月にかけて、私は彼と矢野さんとともに6週間ほど日本で過ごしたのです。
アンソニーは日本と日本の人々に深いつながりを持っていました。
文化や観客、あらゆるものに心を寄せ、日本での時間を本当に愛していました。
この恒例ツアーを通じて、私は彼と深く親しくなりました。
彼が私の故郷を訪れ、家族(ほとんどが音楽家です)とも会いました。
アンソニーはベースの名手であると同時に、工学や天文学、短波ラジオなど多岐にわたる分野に強い関心を持っていました。
日本公演のあと、彼はよく私を外に連れ出し、夜空の星座を指さしながら名前や逸話を語ってくれました。
私の兄の一人は航空技術者なのですが、アンソニーが彼と技術雑誌『Popular Mechanics』の内容について何時間も議論していた時には、兄が「この人、一体何者なんだ?」と驚いていました。
後で彼に「世界的なベーシストだよ」と教えたときの兄の表情は忘れられません。
長い文章になってしまいましたが、アンソニーについて語り出すと止まりません。
彼の死を受け入れるために、こうして書くことが私にとっての癒しになっているのだと思います。
2025年2月に行われたアンソニーのためのチャリティイベントでは、多くの仲間が再会できたことを本当に喜んでいました。
あの夜、彼が外に出て、皆と会っていた姿を見られたことが嬉しかったです。
最後に、ダネット・アルベッタに心から感謝を伝えたいと思います。
彼女がいなければ、アンソニーの最後の10年はまったく違うものになっていたでしょう。
彼女は日々の世話を惜しまず、彼を深く支え続けました。
また、彼女とボブは2月のイベントを主催し、最期の時まで彼のそばにいてくれました。
その献身には、誰もが感謝しています。
フォデラの皆さんもまた、家族のように彼を支え続けてくれました。
晩年、彼はかなりの痛みと生活の質の低下に苦しんでいたと聞きます。
今は母親や先に旅立った仲間たちと再会し、安らかに過ごしていることでしょう。
私は人生で再び、これほど個人的にも音楽的にも大きな影響を受けることはないと思います。
こうした出来事は、いつ何が「かけがえのない瞬間」になるのか分からないということを思い出させてくれます。
アンソニー・ジャクソンという存在と、彼と関われたことは、私の人生最大の幸運でした。
アンソニー、あなたが私を音楽の渦の中に招き入れてくれたこと、
その影響力の中にいられたことを、私は一生感謝し続けます。











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