里山探険隊 その2
こんにちは、あやはなです。
さて、そんな飯高寺周辺散策をした後は、
いよいよ大樹に会いに行きます。こちらから近いです。
目指す「安久山の大シイ」は何と民家の裏庭にあります。
平山さんという方が代々守ってらっしゃる大樹です。
到着して民家の玄関からお邪魔するとご主人が、
「良かったら帰りに母屋も見てってね」と。
すごくフランクな方で安心しました。
現在は母屋がレンタルスペースになっていて、
色々な作家さんの展示をされてるみたいです。
そしてついに出会った安久山の大シイは…
すっごーい!!
樹齢1000年を超えてるそうですが今もなお樹勢が盛んです。
正式名称はスダジイという木ですが、
全国スタジイランキング第4位だそうです。
幹の周りは10メートルあるそうです。

後ろの見学者と比較すると大きさが分かりますね。

ちょっと引いた感じです。

意味が分からない迫力。
根っこがバナナ状になってますね。



根っこがバナナ状になってますね。
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見上げるとこんな感じです。 |

最後に目一杯引いた場所から。

それにしても1000年以上この地で、
色々な災害に耐えながらも生きながらえて来たのは本当に素晴らしいですし、
こういう生命が育つ場所こそパワースポットなのかなと思いました。
平山さんの努力も勿論ですね。
帰りに母屋でお話をお伺いたかったですが、
他にも行きたい場所があったのでお礼を言って帰りました。
ちなみに見学料は環境保全代として¥200です。
ちなみにこの大樹の裏は散策路になっていて、
日本の里山100選に選ばれているそうです。
眼下に田んぼが広がってましたので、
田植えの後のシーズンはきれいかも知れません。

お庭に咲いてた梅と蝋梅。
梅はあちこちできれいでした。

屋根でさりげなく主張する平山さん。
かっこいいですね。

梅はあちこちできれいでした。

かっこいいですね。
素晴らしい大樹に感動したあとは、
お隣の旭市まで足を延ばして大原幽学記念館に行きました。

蔵っぽい建物です。

在りし日の大原幽学さん。
笑点には出ていません。
大原幽学さん。
お名前だけでどんな方か存じあげなかったんですが、
色々と読んでたら興味が湧いたので行って来ました。


笑点には出ていません。

こんな可愛いメガネをしてらっしゃったそうです。
尾張は大道寺家ご出身の方ですが、
10代から遊学を始めて、色々あって千葉の旭市に辿り着きます。
当時の農家の貧困にあえぎ荒廃した暮らしを見て再興を決意し、
住居を構え復興を誓います。

そして様々な素晴らしいアイデアを元に農地を再構築し、
農民に学問を与えて見事な農村を作りあげます。
今で言う農協も大原さんが作り上げたシステムだそうです。
有名な二宮尊徳さんと同じ時代を生きて似たような事業をされてた方ですが、
(実際に教えていた学問はよく似てます。後世の宮沢賢治さんにも近いですね)
優秀な農業コンサルであり偉大なメンターであったみたいですね。
そんな大原さんの偉業は世間に広まり、各地から多くの門下生が集まって来ました。
多い時で400名以上も集まり手狭になり今でいう公民館の様なものを建築したらしいです。
でも二宮さんと違うのは、ちょっと悲劇的な物語が待ち受けているんですね。
当時は有名な天保水滸伝というお話(当時のヤクザの抗争の話)がある通り、
利根川沿いは船を使ってヤクザのシノギが多くあったそうです。
ほとんど博打だったみたいですが、流域の農民をカモにしては博打漬けにしてたんですね。
それで農家は財産も勤労意欲も無くして荒廃していたそうです。
ちょっと前もよくあったお話ですが。
でも大原さんのご活躍によってストイックに農業に励んだおかげで、
(博打や深酒を戒めてた事もあり)
ヤクザの稼業上がったりになってしまいます。
そこを逆恨みしたヤクザ。
それに当時の幕府も大原さんのご活躍を快く思っていませんでした。
幕府が出来ない事をやってしまった訳ですから。
この二つの思惑が結託してある事件をけしかけます。
公民館に博徒を仕向けて暴れさせるんですね。
それをきっかけに幕府も賭博の疑いありと難癖を付けます。
まるで龍が如くに出て来るような表も裏も根っこは一緒みたいな話で、
要するに幕府とヤクザが結託して大原さんを嵌めた訳ですね。
六年という長い裁判を経て100日の禁固刑に処された大原さん。
冤罪もいい所なんですが獄から出た大原さんにはさらなる悲劇が待っていました。
指導者を失った農民達はまた博打に明け暮れ元の荒んだ生活に戻っていた様です。
それに悲観し自らの失敗を責め最後は切腹してしまいます。
何とも後味の悪いお話ですが、現在はその功績が正当に評価されているのが、
唯一の救いかも知れません。
本当に世の中の為に尽くした偉人でした。
記念館の側には実際に暮らした住居や、
大原さんが建築のアドバイスをした門下生の家屋が移築されていたり、
面白い切り通しの地形があったりで、散策するのも楽しいです。

大原さんが指導した門下生のお家。
立派な平屋です。

中も凛とした感じがします。
桜の木が沢山植ってましたので、桜の季節は見事だと思います。

立派な平屋です。


こちらは大原さんの住居。
質素倹約を説いた大原さんらしい佇まいですね。

散策路には面白い地形があります。
色々と感慨深い大原幽学記念館でした。

質素倹約を説いた大原さんらしい佇まいですね。

そして日が落ち始めたので、
最後に近くにある「府馬の大クス」という大樹を見に行きました。
小高い山沿いの民家を登るとありました!

おぉこちらも大きい。
ただ台風で大枝が折れてしまっていたり、
少しバランスが悪い印象です。

ただ台風で大枝が折れてしまっていたり、
少しバランスが悪い印象です。
こちらは大クスと呼ばれていますが楠木ではなく、
正式にはタブの木だそうです。推定樹齢1500年だそうです。
よく分からないですが卑弥呼さんが生まれて初めて「パパ」と言った頃でしょうか。

この威容。
何かの精が住んでらっしゃる雰囲気はぷんぷんします。

神社も併設されています。
もう神々しさは誰がみても感じてしまいますね。

何かの精が住んでらっしゃる雰囲気はぷんぷんします。

もう神々しさは誰がみても感じてしまいますね。
こちらの素晴らしいのは「府馬の大クス」と呼ばれる大樹のその裏にも、
伸ばした枝の幅が40mくらいありそうなものすごい大木があったりします。

樹勢がものすごいです。
後世はやっぱり立派な姿になってそうですね。

この土地がすごいのか、
他の木もとにかく立派で勢いがあります。


後世はやっぱり立派な姿になってそうですね。

他の木もとにかく立派で勢いがあります。

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